世の中の原理を教えましょう!

あなたが生まれてきた目的はなんですか?

フランスの哲学者サルトルは嘔吐という書籍の中で実存主義について説明をしました。

例えばハサミという道具は、人間が目的を持って作ったものです。そう!ハサミの目的は物を切ることです。カッターナイフと違い、物を挟みながら切れるので、手で持ちながら物を空中で切ることができます。髪を切るときにも重宝します。つまり、はさみというものが始めから、この世の中にあり、それをどのように使うか人間が悩み、ハサミの使い方に頭を悩ませたことはないのです。物を切るための何かが必要だという目的があり、はさみは生まれたのですから。

では人間はどうですか?生まれてくる時に、赤ちゃんは何か明確な目的があるのでしょうか。種の繁栄などは遺伝子レベルではあるのでしょうが、多くの子供は生まれた後に、後天的に生きる目的を探します。

つまり、人間の場合、先に存在が生まれ、その後に目的を見つけるというハサミとは逆の現象が起こります。これを実存主義といいます。つまり、人間は目的がなければ、他のものと違い存在意義を問われるわけです。周りを見渡せば、ほぼすべてのものが目的を持って、作られています。

人間は、どちらが良いのでしょうか。どうですか?生まれた時点で予め定められた目的を持つのは?例えば、あなたは将来警察になることが決まっている。あなたの人生の目的は警察として人を守ることだ。だから小さい頃から、柔道などで体を鍛え、法律を勉強しなければならない。と言われたらどうですか。あなたの意思はそこにはありません。毎日すべきことも決まっており、あなたは考える必要はなく、ただ与えられたスケジュールに沿って死ぬまで生きていきます。悩むこともないのです。あなたは失敗することもなく、目的通りに警察になり、死ぬまで、目的のために生きるのです。どうですか?

逆に全く目的を持たずに生まれ、目的が定まらず死んでいくのはどうですか?

将来どうなるか全く未知数、毎日すべきことも全く決まっていない。つまり完全なる自由です。激務サラリーマンからすると夢のような生活ですが、このような人生ってどうですか。目的を持たない人間は、ただ時間を浪費し、いてもいなくても社会にとって何も意味のない存在です。

ただ、本人の目の前の娯楽や快楽のために、生き続けているのです。

ほとんどの人は、自分の意思に沿った明確な目的を持って生きることが一番の理想として考えるはずです。

例えば、小さい頃からケーキ屋さんになりたいと思い、本当にケーキを作ることが大好きで、それを仕事にすることができ、沢山のお客様に満足されて、何不自由ない生活の中で、自分の大好きなケーキ作りに没頭できる人生って幸せそうですね。自分のためにも、社会のためにもなる人生って何か意味があるではないですか。

結局人って贅沢で、自分のやりたいことをやることで、他人からありがとうって言ってほしいし、自分の自由の中で、自分のためにもなり、世の中のためにもなりたいと考えているのですね。そして、他人からすごいねって言ってもらいたいから、ブランドの服着たり、弁護士などの偉い仕事に就きたいって思うんですよ。でも自分の自由も確保して、自分の思う通りに生きたいという欲求もあります。

例えば、自分が本当にやりたいと思えなくても、医者になれば、社会的地位も上がり、生きる意味も見出しやすく、世間から見れば成功した人生と思われるでしょう。

でも、自分の自由は犠牲になります。

逆に生活保護者になれば、24時間自由になりますが、生きる意味は見出しにくく、他者の払う税金で生活するため、どうしても他人に認められにくく、自己の自由の代償に、生きる意義を見失います。

 

結局どっちもほしいけど、両方手に入れることは無理なんです。

人は、自己を犠牲にしなければ、何かの目的を達成できない。何かの目的を達成することは、ある意味社会のために生きること。社会のために生きることは他人の喜びを作ること。他人の喜びを得ることが人間の究極の目的?という流れになるんです。

これって一見、偽善的に思えるかもしれないですけど、結局人の行動って他人にどう思われるかで決まるんですよ。

ひねくれて、自己中になっても、死ぬまで自己中で幸せな人はいません。多分他者0人の中で自己中になる人はいないんです。自己中って、結局他者がいる中で成立する概念ですから。

ある意味、生まれてから死ぬまで一切他者から関心を与えられなくて、毎日ほしいものはなんでも与えられて、自己欲求をすべて満たせる生活をしても、人は、そのすべてを失ってでも他者との繋がりを求めるのです。

大金持ちの御曹司が、親から何を与えられても、不満そうなドラマとかってよくありますよね。あの描写が理解できない人はいないはずです。逆に超貧乏な家の子供で全く金もなく、子供のころから新聞配達してるけど、すごく幸せそうな子供の描写もありますよね。これも共感できるはずです。

どっちの子供が幸せかって聞かれたら、ほとんどの人が貧乏な子供って言うんじゃないですか?だってこの子は、お金はなくて自分の好きなことをする時間もほとんどないけど、親からの愛情に恵まれ、働きながら社会から必要とされる自分を感じ、毎日意義のある生活に充足感を感じているからです。

逆に御曹司は、親からの愛情もなく、社会とのつながりも見出せず、自己満足の浪費に日々時間をつぶします。高いおもちゃやゲームを手に入れ、漫画も大量に買い、沢山の習い事をしたり、海外に行ったりと贅沢三昧。食べ物もすべて高級料理。すべて自分のための生活です。子供のこと1人はいなかったですか?家が金持ちで、何でも持っている自慢をする子供。スネオみたいな子。どこか寂しそうではなかったですか。何かに不満を持ってそうではなかったですか。

今の社会は目的を見失っている気がします。どこかでお金持ちの子供のような生活に憧れを抱くような。老後のためにいっぱい貯金して、老後は悠々自適に生活といいますが、本当に老後に御曹司のような生活をしたいのでしょうか。

言い方は悪いですが、誰しも、体が弱り、社会の中では、他者に助けてもらう存在となる老後において、自己のためだけに生き続けることに幸せを感じますでしょうか。沢山の経験を積んで、培ってきた経験や能力を活かさずに、毎日自己満足のために旅行したり、美味しいものを食べて、その日暮らしで目的もなく、ただ死を待つ生活に希望を抱けるでしょうか。目的がなければ、日々の娯楽もすぐに飽きます。

今の若者は、結婚も無駄、子供もいらない、最低限の生活で贅沢もなく、スマホばかりを触り、目的もない。仕事にやりがいもなく、他者に無関心。つまり地域とのつながりなども嫌い、自分の将来のために貯金をする。この若者は、何に幸せを見出しているのでしょうか。人生の幸せとは、日々の些細な娯楽を繰り返すことにあるのでしょうか。それとも蓄財レースで勝って沢山のお金をため込むのが目的でしょうか。当たり前の話ですが、何億稼ごうが、生きている間に使うか、死んだ後に相続するかどちらかしか選択できません。あなたに子供がいたとすれば、そのお金を相続して幸せになるでしょうか。複数兄弟や親せきがいれば、争いのもとになるかもしれません。堕落するかもしれません。そんな不確定な未来のために、相続のためにお金を貯めるのですか?もしくは、今せっせと貯金している人は将来贅沢に使う予定があるのですか?無駄使いで幸せにはなれません。1万円稼ぐ苦労は1万円払って得られる幸せより大きい気がします。そもそも、1万円手元に残すためには、1万3千円位稼がないといけません。所得税・住民税・社会保険料が天引きされ、さらに購入時に10%の消費税を取られるのですから。