19節 ニュメレール財

なぜ効用(幸せ)の最大化が難しいのだろうか?

 人間,欲しいモノを欲しいだけ消費できれば効用最大化できる(不足から生じる渇望や将来への期待等が幸せにつながる。もしくは何も求めない欲のない生き方が最も幸せという考え方もある)と言えるが,資源には限りがあるので,万人はあらゆるモノを取捨選択しなければならない。この選択の指標となるモノが価格である。そもそも価格はお金で示されているが,お金もそもそも財である。ではお金の価格はいくらだろうか?100円玉の価格は100円である。但し,10000円札の価格は10000円ではないかもしれない。これは,10000円というのが,通常の取引では使えない場合があるからだ(自動販売機など)。この場合,9990円位の価値になる可能性もある。脱線したが,ここで述べたい事は,1円玉の価値を1円にしてすべての財の価値をお金で示しているにすぎない。つまりお金は仲介役で,実際にほしいモノはあるのだが,一旦自分の財を売ってお金に換え,そのお金をほしいモノと交換しているのである。これはお金を介した物々交換と言える。

 なぜお金を介するのだろうか?

 それは,物々交換では,自分の欲しいモノを持っている相手が自分の持っているモノを欲していないと取引が成り立たないからである。これを欲望の2重一致という。さらに未来に欲しいモノがある場合,自分の持っているモノが腐るモノならば困る。お金なら半永久的に保存が可能だ。このように他の財の価値を示す交換の仲介に用いるお金等の財をニュメレール財という。

 次回は予算制約線と無差別曲線について説明する。